気づかないまま。
ノースタート
ちゃりん、と手の中で銀色の鍵が音を立てる。
その音を聞くたび、銀時は微かに顔を曇らせるのだった。
高校三年の、秋。卒業は、もうすぐだった。
頼むからさっさと進路を決めてくれ、と教師に頼み込まれたので、
じゃあ東大受けまァす、と言ったら本気で泣かれそうになった。
あの人は真面目すぎるんじゃないだろうか。いい加減こんなの見捨てればいいのに。
なりたいものもやりたいことも三年間じゃ結局見つからなかった。
そんなのは俺だけじゃなくて、同じようなこと考えてる奴はいっぱいいるはずだ。
それでも周りの人間は次々に「何か」を決めていってしまう。
何でも良いから決めておけ。
やりたいことはそれからでも見つけられる。
高校受験のときに言われたことと同じことを言われてしまった。進歩してない。
笑い事ではないが、うっかり笑ってしまった。
校舎裏のゴミ捨て場のさらに奥。
屋上に行けなくなったときから、屋根のあるそこが次の喫煙場所になった。
鞄の中に手を突っ込んでソフトケースの煙草を探りながら、ゆっくりと歩いていく。
「…あっれ…おっかしーな」
なかなか見つからないまま、目的の場所に近づくと、
ふうわりと、自分と同じ煙草の匂いが舞ってきた。
「―――あ」
そこにいたのは、慣れた手つきで煙草を咥えていた先客だった。
きりっとした真っ黒な目に短いストレートな黒髪。…自分とは大違いだ。
そいつはこちらを一瞥して、けれども特に気にしなかったように変わらず煙を燻らせていた。
―――…おいおい、先公とかだったらどうすんだよ。
実際今まで慌てて煙草を隠す奴とか逃げる奴とかを何人か見たことがあった。
けれどこんなに堂々と吸い続ける奴なんて初めて見た。
…教師じゃないと分かっていたのだろうか?
でも風紀の生徒だったりしたら確実にチクられて同じことだ。
そいつはまだ、いかにもダルそうに煙草を吸っている。
おそらく―――それにしてはふてぶてしいが―――、一年だ。
まあでもこんなとこに礼儀もクソもないか。
そう割り切ることにして、やっと探し当てた煙草を出そうとしたが。
空っぽだった。
どう見ても逆さに振っても、空っぽだった。
…そりゃねーよ。
無いと思うと無性に吸いたくなるのが人情って奴だ。
隣で煙草を吹かす奴が途端に羨ましくなる。
特に何も考えずに、がし、とその首に腕を回す。
突然のことにそいつは一瞬呆けたような顔をしたので、それが無性に面白かった。
「…お〜おぐ〜しくん。超久しぶり。いつぶりだっけ幼稚園ぶり?前世ぶり?」
「…は?…すいません多分人違いです。前世の記憶とかないし」
「ええーひどいよあんなにマブダチだったのに。でもしょうがねェか前世だし。うんしょーがねェよ。
まあこれからまた仲良くなればいいだろ。な。だからさァとりあえずお近づきのしるしってことで、
一本ちょーだい」
そこまで一気に言い切ったところで、聡い彼は銀時の目的がわかったのだろう。
わずかに口端を上げて、笑った。
「…そんなん、最後の一文だけでいいじゃないですか」
―――なんだ、笑うと意外に年相応じゃん。
どうぞ、と言いながら煙草を差し出してきたので、どーもね、と笑って受け取り、すぐに咥える。
やっぱり、自分と同じ銘柄だった。
銀時が適当に呼んだ「おおぐしくん」の本名はどうやら土方、というらしい。
形だけは敬語を使う土方は、タメ口でもいいよと言ってもそうしようとはしなかった。
「今までもここで吸ってた?俺結構ここいるけど、会ったことないよな」
「こないだ偶然通りかかったら、なんか慌てて人が出てきたんで見つけたんです」
その答えに銀時は少し笑った。やっぱり彼には誰かに見つかるかも、なんて心配はなかったのだ。
「あーそう。また利用者増えちゃったなァ。ここ見つかるのも時間の問題か」
「…そうですね。やっぱどっか別の場所探すかな…」
別の場所。
銀時はそこを知っている。
そこに入る手段も持っている。
―――お前にやるよ。俺にはもう必要ねェからな。
その言葉と一緒に、きれいな音を立てて投げられた銀色の鍵。
それを受け取ったときに、銀時は思ったのだ。
この恋は、実らないんだと。
「…一本もらったお礼に、いいとこ教えようか」
だからそろそろ―――忘れないと。
寒空の下、カチリと煙草に火をつける。
ライターの炎が一瞬だけ暖かい。
「…冷えるね。雪、降るかな」
「どうでしょうね。もう二月だ」
隣からもライターの音が聞こえて、銀時は少し笑う。
二人で扉の横の壁に寄りかかって座り、紫煙を吐き出している。
銀時と土方は、いつもそうしていた。
「…俺も、もうすぐ卒業かあ」
あまりにも、短かった。
何をするでもなく過ごしたこの三年は、あまりにも、短かった。
「ってことは、ここもそろそろ来納めですね」
居心地は良かった、と土方は言う。
その言葉を聞いて銀時は、銀色の鍵を握り締める。
…もう、俺にも、必要ない、か。
「いや…やるよ、コレ。俺も先輩に貰ったんだ」
伝統みたいなもんでね、と適当なことを言いながら土方に鍵を差し出す。
「…いいんですか。多分俺、渡せる後輩とかできないと思いますけど」
土方の言葉に笑う。
俺は―――忘れたいだけで、そんなことはどうでもいいんだ。
「別にいいんじゃねえの。俺は先輩にやりたい奴にやれって言われただけだし」
不思議そうな顔をする土方に、銀時はずっと、笑っていた。
いつかまた―――ここで煙草をふかすのも、いいかもしれない。
その日雪は、降らなかった。
終
続いているわけではないです。
>back