叫べ。
クライクライクライ
―――もう一週間、青空を見ていなかった。
梅雨の空は鉛色でずしりと重く、朝は霧のような雨がしっとりと体を濡らしていたが、
今はもう外に出た途端に頭から足の先まで水浸しになりそうなほどのどしゃ降りだった。
高校二年の初夏。
教師は機械のように勉強勉強と繰り返す。今やらなければ後悔するぞ負け組にはなるなお前らの為だ。
全てが右から左へと流れていった。進学校でもないのにしつこすぎないだろうか。
そこまで世話を焼いてもらう義理は無いと思う。
長い話が始まったとき、土方は机の上に崩れ落ちた。
くだらないくだらないくだらない。一日一回はそう思った。
唯一の喫煙場所である屋上にはここ最近雨のせいで行けない。わずかな苛立ちが襲ってくる。
心の中に溜まっていく泥のようなものはどんどん体を重く、鈍くしていく。
何かを壊したくて、誰とも関わりたくなくて、叫び出したくなる。
つまらないつまらないつまらない。頭の中で繰り返し響く。
なんでもいいから壊してくれよ。
モノクロの世界にはもううんざりだ。
アハハハ、と頭の悪そうな声が響く。眠っていた頭を起こし、教卓を見るともう教師はいなかった。
後ろの席の奴がはいこれ、と紙を渡してきた。数字とグラフが目に入る。模試の結果だった。
「呼んでも来ねーからキレてたよ」
「頭の血管が?」
「死ぬって」
サンキュ、と短く言って紙を鞄に突っ込む。
そいつは笑いながらどういたしまして、と何でもないように言って帰っていった。
窓のほうに目を向けると、雨は少し弱まったようだった。
そのままぼんやりと外を見ているとまた笑い声がした。
声の方を見やれば、神経を疑うような銀色(本人談。どう見ても白)の髪をしたクラスメイトが笑っている。
―――名前は忘れた。そう、どこかに銀がついた気がする。
土方の印象は――死んだ魚の目で笑う男。笑ってるのに笑ってない。
多分自分とは関わることがない――そのくらいだった。
すぐに目を離し、鞄を抱えて教室を出る。
少し濡れても、いいか。
一服しようと思い立ち、土方は屋上へ向かった。
屋上の扉には当然、鍵がかかっている。土方は鞄から銀色の鍵を取り出した。
―――まあ、合鍵である。卒業(ほぼ退学に近かったが)した先輩からのささやかな贈り物だった。
なんでも気に入った後輩に渡していくという一種の伝統みたいなものなんだそうだ。
先輩方には悪いと思うが、その伝統は多分俺で終わる。
鍵を貰ったときにその先輩にも言ったのだが、彼は別にいいんじゃねえの、と軽く笑って、
俺は先輩にやりたい奴にやれって言われただけだし。そう言った。
そのときは何でここまで気に入られたのか不思議に思った。
確か校舎裏で煙草が切れた彼に一本分けてやったことが契機だった。
本当に俺の何が気に入ったのかは分からないが、それからよく屋上に連れて行って貰えるようになったのだ。
なにはともあれ、結果的には良いものが貰えたので、普通に喜んだ。
音を立てないように鍵を回し、屋上へ出てまた鍵をかける。
屋外であって屋外でないその場所に一人立つと、雨はまだ弱く降っていた。
狭い屋根の下で煙草を咥え、百円ライターで火をつける。少し湿気ていた。
ふう、と紫煙を吐く。頭の中のもやもやしたものが煙になって出てくる。
そんなことを考えて少し笑い、水溜りを上履きで蹴った。
ぱしゃんがちゃん。
―――がちゃん?首を傾げる。何だ今の金属音は。
思考が追いつく前に扉が開いて、あれ、先客だ、というどこかで聞いたような声がした。
「えーと、誰だっけ、ウチのクラスの。――多串君?」
一文字の欠片すら合ってない。土方は目の前の男に、「いいかげんな男」のレッテルを付け足した。
よく見ればその手には先の少し曲がった針金を持っている。
いやお前まさかそれで開けたの。そう思ったが口には出さなかった。
何も喋らない土方を気にすることもなく男は、てっきり優等生かと思ってたよ多串くん、と笑いながら言うのだった。
そのうち男も煙草を吹かし始めた。妙な空間。静かな雨の音だけが響く。
「もしかして、鍵持ってんのって多串くん?」
突然聞かれ、少し口ごもってからああ、と返事をした。
いいなー俺ひそかに狙ってたのに、と男は言う。今度は何も返さなかった。
返事をするのも間違いを正すのも面倒だった。また沈黙が落ちてくる。
「多串くんはさ」
そう言った後、少し間が開いた。不審に思って視線を向けると、男はに、と笑った。
やっとこっちを向いた、というように。
ゆっくりと口を開く。何故かじっとそれを見ていた。
「つまんなそうだね」
ぴくり、と片眉を上げる。男の飄々とした顔からは何も読めなかった。
土方は口を閉ざし、携帯灰皿に灰を落とした。男はそれきり何も言わなくなった。
一本目を灰皿に押し付け、二本目を口に咥える。すると男は吸っていた煙草をじゅう、と水溜りに捨てた。
おおぐしくん、とまた知らない名で呼ばれる。何、と答えて顔を向けたらそのまま唇を奪われた。
すぐに離れて、男は笑った。
ぜんぶこわしてやるよ、と言って笑った。
そして、じゃあまたね、と言って扉の向こうに消えていく。
「土方」と、その名をおまけのように付け足して。
正しい名前を呼ばれた土方は誰もいなくなった屋上で落ちている煙草を拾って、やっぱり捨てた。
そして少し笑った。
あいつもつまらなかっただけじゃないか。
壊してくれるというならあえてそれに乗ってやろうと思う。そう、何でも良かったんだ。
鉛色の空が少しだけ色づいた気がした。帰る頃には雨は止んでいて、無性に叫び出したくなった。
終
雰囲気は気に入っています
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