ぬるま湯なんてものは必要ない。
bathroom
ざああ、と水音がした。
頭の中に浮かんできたのは、真っ赤な血を浴びる自分の姿だった。
「…ん」
どうやら、うとうとと眠ってしまっていたようだ。
起きようとしたが異常に目蓋が重い。薄目を開けて、身をよじる。
「あ、起きた?」
突然耳元で声がしたので土方は驚き、ぱちっと目を見開いた。
そこでようやく今の状況を把握する。お湯に、つかっている。そして何故か狭い。
「あ…?風呂…?」
ぼんやりとそう呟くと、また耳元で声がした。
「あれあれ。大丈夫?お名前言えますか多串君」
子供に語るような口調に、土方のこめかみはびき、と血管を浮かせる。
「…土方十四郎様だよコノヤロー。舐めてんのかテメー」
「おーおー怖い怖い」
けらけらと笑いながら銀時は、ぱしゃりと湯船の湯を肩にかけてきた。
「…何してんだよ」
「何って…風呂入ってます。キツキツで」
「狭ェんだよてめえんちの風呂はよ。何で男二人でキツキツで入ってんだよ」
「家直したときに風呂広くすればよかったよなァ」
「まず入りたくねェっつーの」
「でもほらこういう事態があるわけだし」
「…だから何でこうなってんだよ」
「覚えてないならいいんじゃないの、そのほうが」
「…あァ?」
またぱしゃり、と湯がかけられた。
深い意味を考えないように、土方は特にどうも思わずにされるがままになっている。
「たぶん土方なら三日ぐらい顔を隠して暮らしたくなるんじゃねェかな」
「………」
やっぱり深い意味を考えたくない。
土方は黙り込むことにした。
けれど銀時も無言のままで、浴室にはほぼ一定の間隔で土方に湯をかける音が響くのみだ。
ぱしゃり。
ぱしゃり。
ぱしゃり。
そうして流れる時間は嫌味なほど緩やかで、油断するとすぐに目蓋が閉じてしまいそうになる。
ぬるま湯に浸かるというその行為が、無言の男が、どうしようもなく、―――苛々するのだ。
その状況に耐えられなくなったのは、土方だった。力の入らない腕を上げ、浴槽を掴む。
「…のぼせる。出る」
「こんなぬるいお湯で?」
笑いを含んだ言い方に、土方はむっとする。
「うるせェ狭い。出る」
「体洗ってないよ」
「…」
それには答えずに湯船を出て、銀時に背中を向けて座る。
そしてがしがしと体を洗い始めると後ろで笑った気配がした。
―――僅かな鉄の匂い。
ひとの死の気配。
―――ああ、人を、斬ったのだった。
忘れかけていたその事実を、それを忘れかけていたという事実を、
自らに刻みつける。
忘れるな。
忘れるな。
己が鬼だと、忘れるな。
「ひじかた」
体を洗い終えて湯を浴びると、それまで黙っていた銀時が声をかけてきた。
「…んだよ」
背中を向けたまま、土方はできるだけ不機嫌そうに返す。
「お前、そんなんで大丈夫?」
ぴたり、と、
緩やかだった空気は、停止する。
―――厭な、男だ。
この背中に向けられているその顔は今きっと、とても厭な顔をして、笑っているのだ。
土方はす、と立ち上がる。
「―――てめェに心配されるほど落ちぶれちゃいねーよ」
そう言い放ち、そのまますたすたと風呂場を出ていく。
銀時はその後ろ姿を、浴槽の淵に頬杖をついて見送る。
がらがらぴしゃ、と扉が閉められ、土方の気配は早々と離れて行ってしまう。
「…あ、そ」
素直じゃねえなあ、と銀時は誰に言うでもなく呟き、すこしだけ溜息を吐くのだった。
終
あんたもね。
>back