他には何も要らないから。


痛みを見切る君を見たい



深い暗闇に微かに響くのは、獣のような息遣いと水音のような濡れた音と。

「…う、あ、っ…」

噛み締めた唇の隙間から時折漏れる掠れたような喘ぎ声と。

ぎし、と悲鳴のように固いソファが軋む音。


その全てがこの上無く愛すべきもので。
その全てが止む事無く厭うべきもの。


可笑しい。

可笑しくて仕方がない。


何も得ない何も生み出さない何も変わらないこの行為に、

一体何の意味がある?


…何の意味も無い。だから何も必要ない。

こうしてここにいることが、そもそもの間違い。


ぴたり、と動きが止まり、目線が交わる。


「…何泣いてんの」


どうして、
どうして俺は、ここにいる?


「…泣いてねェよ」


土方は嘲るように吐き捨て、笑った。


「…あ、そ」


銀時は興味無さ気に吐き捨て、律動を再開した。


ああ、

本当に。
本当に。
本当に。


馬鹿みたいだ。


ぱたり、と一筋、雫が流れ落ちた。





土方がのろのろと服を身につけていくのを、銀時はじっと見つめていた。

何も言わず。
何も問わず。

ただただ、見つめていた。

そうして彼が出ていく時でさえも。

その口が言葉を発すことは無かった。



いつから、とか。
どうして、とか。

その全てが不明瞭で。

当然のようにそこにいて。

当然のように組み敷いて。

当然のように貪って。

あいつは、

何事も無かったかのように去っていく。

何かが口から出ようとしてこの喉は震えるのに、
その後を追うのは湿った空気だけ。

どうしてだろう。
俺は、何を言いたいんだろう。


思考はいつもそこで終わる。


わからないんだ。


言葉の意味も、

涙の意味も。





――薄明かりの中、見慣れた道を歩く。
「…ッ」
熱はまだ燻り、体の中を巡る。揺らぎそうになる体を壁に押しつけ、ずるずるとその場に座り込んだ。
「…っは…」
情けない。
一人では歩けもしないこの状態。
それでも、ずるずるとあそこにとどまるわけにはいかなくて、平気な振りをして逃げるように去ることしかできなくて。

土方はぎり、と唇を噛み――そのまま目を閉じた。





(…い、こいつは)

―――ああ、

(まさか、…ない)

―――声が聞こえる。

(…どのみちこの…しい漆黒の服は)

―――…煩い。

(…我らの、いや…の敵)

―――耳障り。

(…ならば)

―――黙れ。


「…殺せ」










―――あたたかい。

―――あかい?










「――長、…副長ッ!」

その必死な声を聞き、土方の意識は浮上した。

霞む視界が、段々とはっきりしていく。


飛び込んできたのは、山崎の顔と。



一面の、赤。



その「赤」の正体を認識するとともに、嗅覚はその働きを取り戻した。

嗅ぎ慣れた匂い。

視覚はただ情報のみを送る。

人の「残骸」。

脳は全てを理解できずに停止する。

「怪我はッ!?怪我はないですか!?」

体の感覚は、未だ無い。


―――これは、…何だ?


混乱の中、その目がとらえたのは。



血に塗れた刀を持ったまま立ち尽くす、銀時だった。





憐れな残骸と成り果てていたのは攘夷派の浪士五名。
土方が意識を取り戻してからすぐに真選組隊士が駆け付け、早朝だったこともありその件は秘密裏に処理された。
特に「加害者」については真選組の中でも箝口令がしかれ、決して明るみに出ることは無かった。


数日後。


万事屋の前――正確にはスナックの前だが――に、土方は訪れていた。

「…」

無言のまま、二階のふざけたような看板を睨み付ける。
しばらくそうした後小さく息を吐いて、階段に足をかけた。





―――ざく。ざく。

―――ざしゅ。ぐしゃ。


何で、

壊そうと、するんだ。


やめてくれ。

もう、たくさんだ。

壊されるのも、

…壊すのも。



万事屋の玄関の戸が開き、きしきしと足音が入ってきても、銀時はソファから動かずにいた。

「…」

そのまま侵入者――土方はソファまで歩み寄り、無言で銀時を見下ろした。
銀時はゆっくりと目線だけで土方を見て、
「…何しに来たの。まだ昼間だよ」
寝るには早いんじゃないの――と笑う。
しかし土方は表情を変えず、口を開いた。

「どうして、殺した」

銀時は表情を消し、そのままのろのろと下を向いた。

「…どうして…?」


―――だって、
―――だって壊さなきゃ、


「――…お前、鍵、忘れてったんだ」
「…?」
言葉の意味が分からず、土方は眉を寄せた。銀時は構わずに続ける。
「…何か大事な鍵とかだったら気分悪いから、…ソレ持って、追い掛けた」
「…は…?」

「…そしたらお前、座り込んで気ィ失ってて」

「…!」

「まわり、五人くらいが囲んでて」

「…な…!」

「…真選組とか、敵だとか、言ってて」



―――おい、こいつはあの真選組副長――土方ではないか?

―――まさか、そんな筈はない…

―――いや…どのみちこの忌々しい漆黒の服は、

―――我らの、いやこの国の敵である証。

―――…ならば、


―――…殺せ。



「…頭ん中真っ白になった」

気が付けば。

辺りは血の海で。

「刀が重くて」

手にあったのは木刀ではなく。

血に塗れたそれで。

「でも、息、してるお前、見て、」

ああ、

きみが、

「…生きてて、ほっとしたんだ」

ほんとうに。


―――ぱたり。

「…あれ…?」

―――ぱたり。

「…何で俺、」

―――ぱたり。

「…泣いてんだろ…」


土方は、言葉を失った。

…何か、取り返しのつかないものを、

壊してしまった――いや、…壊させてしまった、気がした。


「―――…もう、たくさんだ…」


小さく呟いたその声は、ひどく、弱々しかった。




終





微修正。




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