それでもあなたは笑っていて。


犠牲と云う名の疵



ロックアックスとともに、消え落ちたひとりの犠牲。
それはあまりにも大きすぎる疵となった。



「――僕はずっと、ナナミに守られてばっかりだったんです」

その少年の目は、風のそよぐテラスから湖面の映る外へと向けられていた。
「捨てられっ子、って近所の子供にいじめられてた僕を、ナナミだって同じ立場なのに――いつも助けてくれた」


―――強くなるんだよ。
―――だいじょうぶ、だいじょうぶ。強くなれるまで、お姉ちゃんが守ってあげるからね。
―――だから、泣いちゃだめだよ。


「約束、したんです。『もしまたいじめられても、お姉ちゃんが来るまで絶対、泣いちゃだめだよ』って。
―――強さっていうのが何なのか、分かってたんですね、ナナミは。…じっちゃんの、おかげかな」

そこで少年はしばし黙した。
背を向けて外を見ている少年がどんな顔をしているのか、知る方法はどこにも無かった。

「…僕は、強くなろうと思った。泣かなくてすむように、守られなくてもいいように、
…いつか、ナナミを守ってあげるために」

痛かった。少年の言葉がただ、胸を締め付けるように痛かった。
その痛みは心臓を掴み、肺を潰し、喉を塞いだ。言葉を、殺した。

やはり犠牲は、あまりにも大きすぎた。

「…強くなったつもりだった。ナナミを守れるほど強く、みんなを導けるほどに強くなったつもりだったんです」

とんだ思い上がりだ―――少年は、その言葉を飲み込んだ。

「―――結局僕は、守られてばかりだ。みんなに守ってもらって、ナナミに守ってもらって――」

「…あなたは、守られるべきお方です」
ようやくそれだけを口にしたカミューに、少年はゆっくりと振り向き―――、…笑いかけた。


「…優しいですね、カミューさんは」


カミューは言葉を失くした。その少年が、笑顔を、浮かべていることに。

少年はまた、ゆっくりと外へ向き直る。ざあ、と湖のさざめきが届いた。

「僕は―――…死んじゃいけないって、分かってました。
僕が死んじゃったらぜんぶが無駄になってしまうって、よく、分かってた。
だから、みんなが守ってくれる。――僕は、はやくこの戦争を終わらせることで、みんなに…恩返しが、したかった。
したいと、思ってます」

噛み締めるように、少年はゆっくりと一言一言を発していく。
不意にまた、言葉が途切れた。さわさわと、風がカーテンを揺らす。

静けさが部屋を満たした、その刹那。


「でも」


やけにはっきりと、それは響いた。


「でも、僕は」


―――あの笑顔を。



「ナナミだけは、僕が、守りたかった。守って、あげたかった」



少年はそう言ったきり、黙って、外を見続けた。
―――あるいは、その空を――遠い遠い空を、見ているのだろうか。

カミューはしばし立ち尽くしたあと、静かに一礼し、その部屋を去った。





マイクロトフは自室の椅子に座り、ぼんやりと宙を見つめていた。
騎士服を身にまとい、剣を腰に提げたまま。


―――なんのための剣か。

―――なんのための誇りか。

少女の命ひとつ守りきれず。
自らはのうのうと生き長らえ。

なんのために、剣をとったのだ。

ぎり、と拳を握り締める。


コン、とノックの音がして、カミューが顔を出した。マイクロトフは慌てて立ち上がる。
「カミュー、城主殿は…!」
その問いに、カミューは悲痛な顔で首を振った。
「…まだ、そっとしておくべきだろう。今はなんとか気丈に振舞っておられるだけだ。
―――下手な慰めの言葉など、かけるべきじゃない」
「―――っ……」

唇を噛みしめる。それはカミューも同じだった。

「無力だな…私達は」

―――こんなにも、無力だ。

なにひとつ、救うことなどできなかった。

「…悔しい…」
「……」


大きな犠牲を払ってまで守ったものは、一体何だったのだろう。


そのとき―――ふわり、と風が流れた。
まるで、少女が走り抜けたかのように。




城の空気はどこか沈んでいて。
いつもは軽やかに響く子供たちの声も、聞こえてこない。

シュウはその重く沈んだ空気を感じ、溜息を吐いた。
―――良くない状態だ。

「…」

―――しかし。
これ以上、あの小さな少年に何かを強いることは、許されるだろうか。

勝つために。
勝つためだけ、に。

あの少年の心を壊してしまうことは、許されるだろうか。

またひとつ、溜息を吐いた。


彼は、笑えるだろうか。


そのとき、こんこん、と控えめなノックが鳴った。

「誰だ」
「…僕です」

顔を出したのは、幼い城主だった。
シュウは驚いて言葉に詰まった。少年は苦しそうに、それでも微笑んでいた。


「…シュウさん。僕は、どうすればいいんでしょう」

「…」

「…なんでだろう。目の前が真っ暗で、何も見えないんです」

「…」



「―――僕は、笑えてますか?」







『…裏切者』
『裏切者』
『うらぎりもの』

「…どうして」

『どうして?』
『本当は、お前がここを守るべきだった』

「…それは、」

『本当に良かったの?』

「…おれ、は」

『あの光景を見た?」
『炎を上げるマチルダの旗を』

『お前がかつて誇りとして掲げていたものが焼け落ちるさまを』

「俺は、おれの、信じたものの、ために」

『その結果が、マチルダの壊滅だと?』
『その結果が、あの少女の死だと?』

「…おれは」

『マイクロトフ』

「…ちがう」

『…マイクロトフ…』

「―――ちがう!!」


「マイクロトフ!!!」


カミューの声で、マイクロトフの意識は急激に浮上した。

「…カ、ミュー…?」
「マイクロトフ…」
体を起こしたマイクロトフの肩を、カミューは強く掴んだ。

「迷うな」

びく、とマイクロトフの体が強張った。カミューは続ける。

「今は、前だけを見るんだ、マイクロトフ」

―――失ったものは返ってこない。だから、

「…私達は、『団長』なのだから」


―――その胸にかつての誇りは無くとも。

―――この心に剣と誓いを。


「…ああ…そうだ」


―――信じてくれた人のために。

―――散っていった少女のために。

―――これからの未来のために。


「もう、迷わん」


この剣を振るおう。


すべてを守るために。






『―――僕は泣きません。それが、ナナミとの約束だから』

そう言って笑った、強く儚い少年のために。





終





主人公好きです




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